小泉総理の靖国参拝で持ちきりであった昨日の夕方元自民党の幹事長であった加藤紘一さんの山形の実家が放火され全焼というニュースが入り、本日の朝はその犯人らしき人間の話がワイドショー等で放映されていた。
親戚相手に話をしながらも注意して聞いていたのだが、こういう事件はいつもの事ながら嫌になってくる。「狂気」という言葉をついつい当てはめてしまいたくなるのだが、明治維新のときのそうだったのだが、こういう行為によってどのくらい大切な人材が死んでいったのか考えると本当に許せないという気持ちである。
司馬遼太郎氏は「歴史的な役割が終了するとその人物は見事なくらい速やかに舞台から退場する。」という主旨の言葉を残されているのだが、その人の使命と寿命というものにはこういう事件に巻き込まれることをも必然性の中の行為としてみていくことが大切なのだろうか?
92歳のお母さんがこの事件に巻き込まれなかったことがせめてもの救いだが、最近起きている非人道的な事件の数々も、こうしたテロ行為に近い「狂気」も時代だといってしまうのにはあまりにも問題が多すぎやしないだろうか?
冷静に話をし見極めていく真実を探求していくという姿勢を常にもっていきたいと改めて感じた1日でした。送り火をたきながらそんな思いにふけっておりました。