今年もやってきた大晦日、本年最後に日であるのだが、買い物がありシティモールに出かける。さすがに最後に人あって大勢のお客さんが来ている。9時過ぎに現地について買い物をしているうちに、外はちらほら雪が舞ってきた。
「明日までに積もるようだと困る」というのが本音であったのでそのうち雨に変わってほっとした。運動靴を買うことが主な目的で息子と妻の買い物に付き合ったのだが、外が冷え込んできてなんとも寒くて参った。
昼食には息子と久しぶりに食事を共にすることもあって、息子の好きなものを一緒に食べたのだが、食べる量がとてもとても自分はかなわないということで妙に年齢を感じる一幕であった。
息子に釣られて食べ過ぎてしまうことが夕食にも続き、胃がもたれて消化不良でとても参った大晦日になってしまった。
昔のような時節を感じない年の瀬であるのでなんとなく1日があっという間に過ぎてしまった感がある。寝るにしたってそれほど遅くまでおきていることもなくいつもどおりの時間に就寝をした。なんとも気分が改まらない年の瀬になってしまった。
朝から床屋さんに行って散発をおこなう。「お休みですか」と何人かに声をかけられたのだが、議員の仕事としては本日は休みなので素直に「はい」と答えたのだが、やることは一杯あるんですよとついつい余計なことを言いたくなってしまう。
床屋が終わると車の洗車にかかる。いつものことなのだが洗車をし始めると天気が悪くなって急に冷え込んできた。しかし、本日終わらせてしまうことが肝要なので軽自動車ということもあってさっさと片付けていく。これでなんとなくすっきりしたので、昨日からの筋肉痛の激しい背中をごまかしながら、文具の不足品を買い物に出かけた。
日曜日ということもあって商業地区にいくと渋滞をしている可能性があるので其処を避けて違う場所に向った。
自宅に帰ると市民相談の電話が入ったので其処のお宅に行き話を聞いた。暮れも押し詰まっての相談であるだけに緊急性があるものと思って急いで行った事は良かったようだ。しかしながら相談内容はとても私が判断して決めることの出来る内容ではないので、専門家に連絡を取った。来年はこうした緊急連絡を取れる専門家のカードをイマよりもっと増やしていかないといけないなという感想を持ちながら帰ってくるとすでに夕方の6時になっていた。
こうしてPCに向っていても手が冷たくなる季節にやっとなってきた。あまりスキではないが季節感がないよりはこうした感じは嫌いではない。
朝、新聞を見てみるとどの新聞にも私が関係してしまった。食中毒の記事が掲載されていた。私自身も検便を調べられたのだが、6日もたってノロウィルスが発見されたということで、立派な食中毒であることが証明をされた。
ちっともうれしくない報告を新聞で見たのだが、本日はそれどころではなく、自宅のペンキ塗りや改修がすべて終了したために、納戸にあったものをすべて大工さんが息子の部屋に移したものを私一人で納戸や自分たちの寝室に運ぶ作業をおこなった。
屋根裏に行く階段の幅の変更でタンスが自分たちの寝室に置くしかないのでまずはテレビの移動から始まった。最近の平面テレビならいざ知らずそれだけで大変な重量である。それだけでへたりそうになったのだが、其処からタンスを運んできて並べなおした。
さすがに最後上おきを置くのは一人ではとても持ち上がらないのでいとこを呼んで手伝ってもらった。やれやれである。終わったころには背中の筋が痛くなってきて軽いぎっくりの状態になった。だんだん体が硬くなってきていることをイヤになるほど実感をした日でありました。
本日は朝9時30分から総合計画審議会が開会された。いよいよ総合計画審議会も本日の審議が終わると、来年の総括審議を残すのみとなる。
今までに各委員さんから出された意見の対応状況がはじめの審議内容になったのだが、いつもの審議会に比べてどうなのかという尺度を自分自身が持っていないので、意見の数が多いのか少ないのか少々戸惑った感じである。
しかし、検討した部署によっての温度差は感じた。きちんと細かく精査した部署があるかと思えば、「本当に検討したの?」といいたくなる部署の対応もあった。本日は比較的一般の委員さんたちがおとなしく、各議員さんたちが意見を言うという感じに進んでいった。
重点プロジェクトのなってもこの傾向は続いていった。最も本日の会議はイマまでの総集編的な意味合いが強くなってしまうので今まで数多くの意見を言った人たちにとって同じことを言うようになってしまう部分があったのかもしれない。
12時20分にすべてが終了をした。食事をしながら談笑をして2時過ぎには役所を後にした。これで本年の公式行事はすべて終了である。
年末までもうすぐであるのだが、今年は何をしていくことにしようか。これから考えることにしよう。役所でも話したのだが、年男である本年はもっといい年になるかと思いきや、春先から1年間を通して体調不良に悩まされた1年間であった。おかげで禁煙が出来、運動もするようになったのだが、自分としてはなんかすっきり出来ない1年であったような気がしてならない。
年末までもう少しの時間があるのでこうしたことも踏まえながらほかの事を考えていくことにしよう。
久しぶりに外に出た。夕方から夜にかけては外で食事をしながら其処に集まった人と談笑をした。体自身は、そろそろと様子を見ながらの会食であったのだが久しぶりにきちんとした食事が出来て何よりもそれがうれしかった。
人のいい人の話し声はどうも調整が聞かないらしく、ドンドン大きな声になって何のために個室で食事をしているのか分からないと思うようになってくる。べつに聞かれていけない話なんかしていないのだが、ところどころ大きな声で断片的に聞かれるというのもおかしな感じになってしまう。
トイレでばったり知り合いに会い、横の席にいる人たちがそういう集まりの人たちであることも分かった。まあ、どうということはないのだが、なんとなく気になる時間であった。
食事だけで失礼をして帰って来た。まだまだ完全に全開するには早過ぎるので調整をしながら日々少しずつ緩めて行きたいと思っている。
自宅に帰ってゆっくり風呂に入って就寝。とりあえず体が戻ってきたようである。
朝10時過ぎに保健所がやってきた。正確に言うと保険福祉事務所の職員さんかな。某日某所で忘年会をした人から訴えがあって、食中毒の調査をしているということである。「え〜!!」てなリアクションをしながら、話を聞いてみると、なんと自分も其処において同じ時間同じようなメニューで他の忘年会に参加をしていたのです。
みなさん19日の午後あたりから調子がおかしくなったらしく、私の症状とも全く重なり合うことが判ってきました。
其処で同じように同じ日に一緒に食事をした人たちに連絡をしてみた。17名で私たちの忘年会はおこなわれていたのだが、私の症状が一番ひどかったのだが同じように体に変調をきたした人が6人いることが分かってきた。皆風邪をひいたと思っていたらしいがどうやら中りである。
今、調査中なのだから詳細は私もいえないのだが、全くひどい目にあったとしか言いようがない。食中毒を出した側は営業停止処分はさることながら、お金を出してこうしてひどい目に会って、自分で医者代まで出している人たちにどういう対応をするのだろう?考えてみると大変に腹立たしい出来事だし、お店の対応もこれからの対応をきちんとしたほうがいいと思うのだが、最も原因が特定されないうちは動きようがないな特定されないで謝りに歩いたらそれこそおかしなものになる。
しかし、暮れのこの忙しい時期だけにお互いに痛い出来事でありました。
本日の議会で平成16年の議会は閉幕になる。最終日であるだけに体調は戻っていなくてきつかったのだが、採決だけでも参加をしなくてはと気力を奮い起こして議会に向った。
各会派に昨日の欠席と本日は早退をする旨を挨拶に歩く、議員の皆さんも体調的には皆さん疲れ気味なので「風邪をうつすなよ」といわれたりした。
10時に本会議が開会され、意見書案の採決が終わり、最終日の一般質問に移った。5人が登壇予定であるが、一人目の質問が終わったところで何人かの議員には合図を送って早退をさせてもらうことにした。
自宅に帰って休養に専念をした。27日まで夜の予定はびっちりであったのだが、20,21,22の3日間はキャンセルをさせてもらった。
だいぶ遠ざかっていた読書をしながらうつらうつらする時間が持てて本当に感謝である。
朝6時に市立病院に連れてってもらった。昨日の昼過ぎから下痢が止まらず、夜からは嘔吐も加わり、午前3時にはトイレでうずくまったまま動けなくなってしまった。
何が原因なのかと考える前に、この苦しい状況が我慢していて良くなりそうもないので、妻に頼んで病院に電話してもらい、病院まで運んでもらった。
点滴を打ち始めてしばらくすると、アレほど激しくあった嘔吐感が遠のいていった。かなりの時間点滴にかかってしまったので、議会は連絡をして欠席をすることにした。議員になって初めての本会議欠席である。
対処療法でとりあえず嘔吐と下痢を止めてくれたらしくだいぶ楽になり、熱も下がってきたようである。「風邪なのかなあ」と半信半疑で考えていたのだが、今の段階ではそう考えるしかないのかもしれない。
12月に入って忙しい日が続いていたので胃腸がへたっていたのかもしれない。いずれにしても体調管理のミスである。大いに反省をすべきである。
「イマの若い者は」という言葉はすでに死語に近いのかもしれないが、私たちの若いころも、きっと私たちの親たちも言われていたのだと思われる言葉である。
現在の日本においても様々な社会状況の変化はあるもののこの言葉の感覚は十分にあると思うし、私たちが若い子を見ると無意識に感じてしまう感覚の言葉ではないかと思う。
最近21歳の人や25歳の人、こういう20代の人たち10数人と話す機会が2回ほどあってその中で感じたことは、一番先に言った言葉の感覚とは違って、「しっかりしているジャン」とか「考えてるなあ」といった感想が正直なところである。
もちろん年齢特有の未熟さはあるし、不完全さも魅力を含みながら持ち合わせている。しかし、将来的にこういう問題に関してこのようにして行こうという感覚を無意識なのか意識しているのか持っている子が多いという事実に気が付いて少しほっとした感覚になった。
結局、自分が気が付かないうちに「こうしなくては」「こうすべき」といった大人特有の枠を持っていたのだということに気が付いた。いつの間にか自分が気が付かないうちに年齢を重ね、柔軟性を失いつつあるのかもしれない。
今後もこのようなチャンすがればまた、話してみたいと思った。自然に会話が成立して自然に流れていくことが出来たことが何よりもうれしかった。
この間も書いたのだが、議員という職業の人間は街を歩かないといけないなと改めて感じた。なぜかというと本日はまたまた勉強をしに小田原駅前まで足を運んだのだが、なかなか素敵な空間が数多くあることをまたまた発見したからである。
自分の町のいいところを見つけるというのはなんとも言えず納得してしまうのである。私たちがまず自らこの町のいいところを再認識をしないとまちづくりといっても所詮机上の議論になってしまう。最近特にそれを感じていて副議長という役職を5月に離れてから時間があれば出来るだけ町を歩くように心がけているのだが、結構いい景色が多いのには驚く。
自分自身がどのような原風景を描いているのかというのはこれからの市民にとっての大きなテーマになっていくだろうし、地方分権から地域分権という発想が出てきて、自分たちのまちづくりで自分たちがおこなえることは自らがやっていこうというまちづくりに変化をしていくと思う。そういう市民意識が変化をするようにこれからの政治はおこなわれていくのだが、市民も何でも役所がやれという発想からの脱皮が結局自分の好きな待ちを作るポイントにもなっていくのだと考えている。
そういう意味において、これから自分たちの原風景がいったいどこにあって、どういうものなのか皆が考え、心をくつろがせることが出来るまた、安心して住むことのできる空間作りというかまちづくりを目指していくのだと思っている。それは今現在の町を歩いても数多く感じられることなのだということを改めて感じた1日でした。

一般質問をおこなっている本会議場の写真であります。
朝一番の一般質問ということで朝9時には役所にいて準備をしていた。いよいよ一般質問である。次の議員さんのための傍聴なのか本日は傍聴人も多い。きっちりした質問をしようと思い登壇をする。
自分ではゆっくり質問をしたつもりなのだが早口であったという声が後で私に届いた。自宅に帰ってから忘年会に行くまでの時間、取り急ぎビデオを見てみたが、確かに再質問は若干早口になっていたようである。
それより何より再質問の声がマイクできちんと拾われていないことのほうが問題であった。指向性の高いマイクであるということなのだが、どうも背の高さにマイクがあわない。ビデオのせいなのかよくわからないのだが声がうまく聞こえにくい部分があった。
それにしても、当初の目的は十分に達成した質問であるのだが、少々私としてはイメージどおりに行かない質問の部類に入ってしまう結果になった。すべてが荒っぽいのである。もっと滑らかに言葉で遊べるような含みを十分に持たせるような質問がしたいのだが、どうもいけないなあ。
4時過ぎには5人の議員の質問も終わり、地域連合の大会に顔を出した後、いったん自宅に帰ってそれから鴨宮駅前でおこなわれる忘年会に顔を出した。
9時過ぎには其処から帰ってきて12時近くまで会社の後輩と話しこんでいた。技術屋の癖にすでに技術の知識についていけない自分を痛切に感じた。日進月歩どころではなく、コンピューターの発達は本来の技術屋の技術がいらなくなってしまう部分も多々あるという現実があるのだということを改めて感じたひと時であった。
本日から一般質問が開始された。付託された議案についての委員長報告がそれぞれ終わり、討論採決がおこなわれ、すべての議案は執行部の提案どおりに通過して一般質問に移っていった。
明日の私の質問に対して、「どのくらい時間がかかるんですか」聞いてきた人がいるのだが、こればかりは相手のあることなのではっきりした時間はいえないのが通例である。私の平均的な質問時間は1時間から1時間15分前後というのが一番多いようである。その前後で考えて欲しいと思った。特別張り切っての質問ではなく、きちんと聞きたいことを聞いていきたいと考えている質問なのでそのあたりの時間になるのではないだろうか。
4人の1期生の議員が質問をおこない本日は終了となった。それぞれに特徴が出てきたのだが、どうしても聞く内容の質問で提案が少ないような気がしたのでそれぞれの議員さんと話したときに余計なことだとは思ったのだが感想を言わせてもらった。私自身も数多くの先輩から様々に質問が終わるたびに意見を言っていただいて気が付いたことが数多くあるのでその先輩たちに対しての恩返しを新しい議員さんたちにしているだけである。
自宅に帰ってから現行の見直しをしないでアリーナに行って汗を流してきた。質問の前の日だというのに気分が高まってこないのはいったいどうしてなのか、単に自分が怠惰になっているだけなのかどうもいけない明日は大失敗をしそうな気がする。
今日も朝から某所に行って缶詰状態で勉強をする。長い長い1日だと思いきや以外に早く時が過ぎていくのに驚いていた。
この季節の小田原の駅前はなかなかいい景色の町並みである。歳末という季節感があるせいかもしれないのだが、わが町小田原はなかなかに素敵な町並みではないかと思って一人ご満悦状態である。
夕方自宅に帰ってから、自分の質問についてもう一度調べ物をする。明日から一般質問が開始されるのだが、なぜか緊張感が漂ってこない。得てしてこういうときの質問はうまくいかないことが多いのである。
相談の電話が3本入り対応をしているうちに夜は更けてしまった。なんだかんだたいした盛り上がりもなく過ぎてしまった1日になりました。
妻と電車で出かけていたのだが、私だけが立って妻が座っているというシチュエーションの中で、「おい、不自然な人がいるぞ」と立っていった人のことを妻に話していたらぎょっとした顔をしてこちらを妻の横に座っている人が振り向いた。
最近自分自身もかなり頭髪が怪しくなっているのだが、カツラをつけているなあと明らかに分かる人のことを妻と二人で「不自然な人」といって相手に分からないように話をしている。自分も将来どうせ髪の毛がなくなりそうなので出来るだけナチュラルなものがあればいいなと思ったときからどうもそういう人に対して意識が向いてしまう傾向があるようである。
私が「不自然だ」という人は体外顔から察する年齢と髪の毛の色が著しくあわない人が多いのである。本日もそういう人であったからついつい妻に分かる言葉で話したのだが、ぎょっとした人を改めてみてみるとその人も明らかに「不自然な人」であった。
髪は長い友達と書くと誰かが言っていたのだが、年齢とともにだんだん細さを増してきているようで、出来るだけ自然な形で減っていくのは仕方がないかと思っている。しかし、なくなって嫌な人たちのためにナチュラルなものを開発して欲しいと思う。
問題は私が見ている所髪の毛の色が一番の問題点であると思っている。色さえ自然な色で皮膚感覚と相違ないものであればこれほど不自然にはならないのではないだろうか?日本の技術者の皆さんよろしくお願いします。
12月議会はいつもの議会と違って休会の日が多く、ゆったりとした日程で進んでいる。本日は私が所属する経済厚生常任委員会が開催された。議案の審査で意見を言わせていただいたのだが、その後の陳情審査について疑問を感じてしまった。
小田原の議会は他の議会と違って陳情に関してはすべて委員会に付託されて審査をされる。その中には国に意見書をあげてくれというものも多い。しかしながら、昨日の陳情については明らかに市議会で議論をすべき事柄から逸脱しすぎている陳情項目の羅列された陳情があった。「よくわからないので勉強をする時間が欲しい」という委員さんが多く、継続審査となったのだが、こういう陳情自体本当に市議会で議論する案件であるのかどうか疑問を呈した。
「どうせ国が判断するのだから」と安直に意見書を国に上げてきた歴史の積み重ねが地方議会から上がってくる陳情を所管の大臣が積み上げてみもしない現状を生んできているのではないだろうか?「地方から国に上がってくる意見書」この重みをしっかり増していかないと地方分権といいながらも地方政治は根本的に認められないような気がするのである。
「有権者の顔を思い出しながら賛成するが本心はおかしいと思う。選挙のためでし方がない」こうした議論をしているわけではないが、昔の議会のようにこうした雰囲気が無言のプレッシャーとしてかかっている人もいるのかもしれない。
「陳情の審査」について議会で議論をするという話が終了後聞いた。どのような形になるにせよ、議会にもきちんとした「説明責任」を果たさなくてはいけないという責任があると思っている。きちんと整理した議論を期待したいものである。
夕方から夜にかけては先週あたりからボツボツ始まった忘年会の顔を出した。笑いながら楽しく時間を過ごしたせいで気が付いたときには午後10時を回っていた。4時間近く胡坐をかいていたせいで帰りには腰が若干痛み出している。
運動不足には気をつけなくてはいけない1週間になりそうである。
本日は天候も関係なく、朝から自宅にこもって様々な作業に没頭をしていた。いつもこうなのかな?12月になって急に忙しくなってきた。議会中ということもあるのだが、今週と来週が忙しさの山場になりそうである。
13日、16日、17日は議会の委員会・本会議があるそして、それぞれに忘年会が入ってきていて夜は夜で大変に忙しい。頑張ってジムに行かないとまったくいけなくなりそうである。先週もジム1回、プール1回という具合である。
15,18日は勉強が1日あり、今週あいているのは14日だけである。夜の秋も少なく16日の夜しかあいてイナイ。しかし、ここで運動を頑張らないと2週間を過ぎてその次の週になると小田原アリーナも南足柄の体育館も正月休みに入ってしまうのである。
暮れという事だけではなく、なんとなく身辺が騒がしいという感じがするのだが、これも後2週間過ぎてしまえば終わりである。
様々な用事や仕事を順番に無駄なく進めていくしかないのだと思う。「今村は最近ちっとも議会に来ない」とあちこちで言われているのだが、本当に忙しく動いているのである。仕事の量が何倍にも増してきている気がするのは気のせいかな?
朝からひげもそらず、頭もぼうぼうで仕事をしているとえてしてこういうときに来客が良くある。事務所が散らかし放題で外で話をすることがたびたびになってしまったが、皆さんなぜ、私が自宅にいることが分かるのであろうか?本当に不思議である。
昨日まで忙しく出かけているときには誰もこなかったのだが、ちゃんといる日にたずねてきてくれることをいまさらながら不思議に思っている。
朝7時10分の小田原駅発の電車で横浜の関内駅に向かった。昨日からなんとなく頭がいたいのだが、本日はそんなこと入ってられない。楽しみにしていた「事業分析」の仕事である。仕事というよりも初体験なだけに学習に近いものがある。
最初は要領もよくわからなかったが、予算化された事業が本当に必要かどうか市民の目線でばっさりとより分けていくところは普段なんとなく行政の仕事に慣れてしまった自分には大変に新鮮な角度であった。
たぶん本来の予算編成をされた予算案に望む議会の特別委員会もこうした視点を持っていくことが大切なのだとおもう。しかし、こういうやり方でやると間違いなく修正案の世界だと思った。
昼休みに食事をなんとなく皆とはぐれてしまったので一人でとっていると横浜市議会の先輩議員にばったり会ってしまった。「今日は何でこんなところにいるんだ」といわれ、「勉強をしに来ました」と答えた。「大いに頑張りなさい」と激励を受けてしまった。
夕方5時までびっちりと24事業について分析をさせてもらったのだが、頭が疲労でがんがんしてきた。所沢市議や春日部市議も同じグループにいたのだが、どう見ても私よりはるかに若いらしく、頭も大して疲れていないようであった。
いい勉強になったのだが、もう少しこうした角度で自分の仕事を見ていくことが大切だという感を強く持ちながら帰って来た。
朝から医者に行く、定期的な検診であったのだが、今年はイマまでインフルエンザの予防注射を打たないできてしまったのでここら辺で打たないとぎりぎりという感じがしたので先生に頼んで打ってもらう事にした。
いつもこの予防接種を打つと具合が悪くなるのだが、本番でインフルエンザにならないだけましというものかもしれない。昨日から続いている腹痛はどうやら風邪のせいなのだがそれを言ったところ「熱がなければ大丈夫」ということでうった。
午後からはやはり調子が悪くなってきたので本日は1日安静にすることにした。この状態が2〜3日続いていくのであるからいやになる。
夕方でかけるころには頭が朦朧としているような感じがしてきた。気のせいばかりではないようなので、何もせずに休むことにした。
朝からなんとなく体の調子がおかしかったのだが、途中から腹痛がひどくなった。家族も数日前に同じような症状を訴えていたところを見ると、イマの風邪の症状であるのかもしれない。
自宅では自宅のペンキ塗りの人が入っているので毎日朝から騒がしい。マドから、ドアから換気扇まで毎日カバーがかけられている。これが終わると今度はサイディングとサイディングの隙間を無くすコーティングがおこなわれる。それが終わって始めて下地を塗る作業に入るとのことであと数日はこうした作業をするそうである。
夕方になってもおなかの痛みは消えないのだが、久しぶりに知人との会食会があり出かけていくことになった。外はかなり冷え込んできて寒い日になってきた。こんな調子で明日、インフルエンザの予防注射を打つのだが大丈夫だろうか?
早く寝たいと思っていたら電話がかかってきた。これがまた、うまく接続できずに相手が話せるときに私がダメで、私が話せるときに相手がダメという状態で今の時間まで、電話待ち状態が続いている。
本日の夕方はニュースが大きく報道したのが「横田めぐみさんの骨は別人の骨であった」というニュースであった。これで生存の可能性は大きくなったのだろうが、しかしこれほど見え透いたうそを平気でつく北朝鮮という国はいったいどういう国なのであろうか?
「経済制裁を発動すべし」という強硬意見に対して小泉首相は「外交の道を閉ざさないようにたゆまず引き続き交渉をしていく」という趣旨の発言をしていた。
国民の意識が大きく変わってきていることは認識をしているが、「経済制裁」をすることが戦争への引き金になるということを承知した意見であろうとは思えないものが多い。必ずしもそうなるとは断言できないものの、人間食べる道が閉ざされれば戦うしかなくなってくるのではないだろうか、「日本という国が北朝鮮にバカにされている」という発言が目立つのだが、日本の弱腰の外交をバカにされたのは何も今に始まったことではない。いまさら言われたってどうと言うことはないのである。
真にきちんとしたことをするのであれば「経済制裁」もひとつの選択肢であろう。そのときはそれ相当の覚悟をもった決断をして欲しいものである。
行方不明に人たちの行方を明らかに出来ない理由の裏にはいったいどのような真実が隠されているのであろうか、私にはそのことのほうがより興味を持つ事柄である。日本の国民の多くが怒りをもってこのニュースを見たと思うが、小泉首相が存外冷静であることに少々違和感を感じている。
夕食は久しぶりに自分で作った。たまにはこういう夕食もいいなと思っていたら妻が帰って来た。
本会議2日目議案関連質疑がおこなわれた。6人の議員が議案関連質疑をおこなったのだが、昨年議会改革の一環で作成した議会先例集・慣例集を見てみると所管の委員会の質疑は原則おこなわないとしてある。
常任委員会での質疑を充実させていこうという確認のもとに議会運営委員会において十分に時間をかけて討議をされて決められたものである。その先例慣例をまとめてくれといったご当人がそれを守らなかったことに対して終了後の議会運営委員会でさまざまな意見が出たようである。
「市長の答弁が聞きたいから質問をした」これはどこかの党が常套句として使用していたフレーズであるがこの党も現在では自分の所管の質問はしないようにしているような気がする。「なるほど、これは市長に聞くべきだ」と誰もが納得する質疑であれば誰も何も言わないのである。残念なことに自分の力を少々過信したのではないだろうか、自分がいい議論と思っても聞いている議員がいいと思えなくては大勢の意見にはならない。残念であろうがこれが真実である。市民に対しての説得力を持つ前に議員に対しての説得力のある言論力を持たなくてはいけないのである。聞く側の議員はプロである。自分で表現はうまくなくても耳は肥えているのである。こうした経験を是非次に生かして欲しい。「言論の自由だ」とか「発言を制限するのはおかしい」という前に自分の発言に対しての反省が必要だと思う。
力をつけて、みなが納得する内容の質疑をしていれば「あの議員がこういうのだからここで質疑をするのは当然」という暗黙の流れみたいなものが出来てくるのである。其処まで是非頑張ってほしい。
まあ、人のことはなんとも言えるのだが、自分の実力もまだまだ其処まで行っていないのが現実である。
朝から勉強のために自宅を出た。本日は前日と違って非常に肌寒い。休み時間に入って携帯を確認すると6本も電話が入っていた。珍しく自宅からも入っていたので電話をかけてみると、母が一人で留守番をしているために、FAXのリボン切れに対応できなくて困ってしまったようである。
相手の電話番号が印字されているかどうかを確認したところ、相手がほぼ分かったのでそこから連絡を取った。其処からそれぞれの番号に電話をしたのだが、どうやらFAXがつながらないことが原因で連絡を取りたかったようである。
市民相談の写真を黙っておいて行った人もいたようで、本日は自宅のペンキの塗り替えのために事前洗浄をしていて家中水浸しであったのに無理に投函したものらしく、水浸しになっていたようである。えてして誰もいなくて対応がすぐに出来ないときに限って問題が発生するようである。
午後からは終了するまで夢中になって集中をしていたところ、また数多くの連絡が入っていた。こういう日ってあるんだな、自宅に帰るとさらに数多くの電話が入っていた。いったい本日は何が起きたというんでしょうか?
数多くの問題点も小さな行き違いから起きているような気がします。お互いにもめる前の情報交換が不足しているような気がするんだけどなあ。私に言われても何が起きているのか急には理解が出来ずにちょっと困った時間を過ごすことになりました。
さあ!明日は12月議会の2日目、しっかりと頑張って行こうではありませんか。
夜から朝にかけてすさまじい風と雨の影響で朝から大騒ぎをしていた。私自身の看板も、党の掲示板も何箇所も風で飛んでしまい、朝から大わらわでそういうものの回収に当たっていた。
朝の10時30分には結婚式に参加をするためにヒルトン小田原に向っていったところ、海から噴き上げる潮が車のウインドウをたたくような強い風に見舞われた。しかし、空を見上げると素晴らしい快晴である。気温も急上昇をして12月としては記録的な温度の1日となったようである。
そうこうしているうちに会場に着いた。主賓で挨拶をするということでどうもこういうのは苦手なので出来ればやりたくなく、今までも何回も結婚式の出席はなるべく避けるようにしてきたのだが、今回は良く知っている人間相手であるので仕方がない。
人前結婚式が終わるとすぐに披露宴が開宴となり、一番初めに挨拶をすることになった。披露宴自体が新郎新婦の人柄のせいか、ほのぼのした雰囲気で始まったので私としても非常に話しやすい雰囲気でバトンをいただいた。
うまく時間通りに話をまとめて終わったことにほっとした。考えてみると、媒酌人や主賓ははじめに話をするので後はリラックスして楽しめるのがいいところである。まして今回のように媒酌人がいない結婚式の披露宴だと非常に後は若い人たちの宴の雰囲気に身を任せていられるのでその点については非常に楽である。
笑いあり、涙あり、感動ありで披露宴としては素晴らしい盛り上がりをしてお開きとなった。こういう素晴らしい披露宴が出来た若い二人に心から「乾杯!」である。参加をさせていただいたこちらのほうが心からお礼を言いたいと思う。
自宅に帰ると様々な仕事が残っていてあっという間に夜の12時を過ぎてしまった。
12月になってなんとなく気ぜわしい毎日が過ぎていっている。同じように24時間の時間が過ぎているのになぜにこのように気ぜわしいのか不思議である。昨日の残りのレポートを完成させるのに午後2時までかかってしまった。
其処から12月議会の質問原稿を書き始める。夕方にはおおむね出来上がったのだが、文章の表現というか、自分だけが理解しているような文章から、聞いている人が理解できるような文章に変化させていくのに時間がかかった。
これで声を出して読むとまた、表現の仕方が違ってくるのである。最近の特徴として、文章が短くなってきているような気がする。引用が限りなく少ないというのもその特徴かもしれない。自分の考えだけをはじめに書きなぐってしまうと其処からその文章を飾り付けるのがなかなか難しい部分がある。ただ、自分の考えがどのような経緯で出てきているのかということだけは丁寧に書かないと共感を持ってもらえないと思い、其処だけを注意して修正をおこなう。
明日は友人の結婚式。友人といってもずいぶん年下の友人であるが、私が一番きらいな挨拶がある。私はもともと結婚式に出るのはあまり好きではないので昔から極力遠慮して来た。仲人を頼まれたときには仕方なく参加したりしていた。特に挨拶に関して何を言っていいのか全く参ったものである。「人生で2度褒められるそれは結婚式と葬式である」と私の友人が言っていたが、その1回をほめることなしに挨拶をしてはいけないだろうな、とにかく何とかするしかない。また、短い挨拶にしなくてはいけないのだからそんなことで原稿も書くわけにはいかない。
全く困ったものだ。流れに沿って何気なく話すしかないか、苦手だなあ!
朝から、何十年ぶりというぐらい珍しいことをしている。学生時代以来であろうか、レポートを前に悪戦苦闘をしている。
久しぶりに使う頭は動きが鈍く、なかなか前に進んでいかない。年齢というのはこういうことなのかと思いながらも、朝の8時30分から夕方7時まで途中市民相談4件をはさみながらも、集中力だけは維持が出来たので夢中になって問題を解いていた。
全部で4つ出さなくてはいけないのだが、3つ目の途中で終了となった。明日は12月議会の一般質問の原稿を考えながらその前に決着をつけることにしようと決め作業を終了した。
ちょうどいい具合に議会が休会になっているので様々なことができる。市民相談にしても役所に担当者がいることが多く、電話をすると話が通じることが多いということがありがたい。
原稿をきちんと考えていない段階で、質問の問い合わせをされると、若干の戸惑いがあるのだが、そういうやり取りの中で次第に自分の言いたいことや聞きたいことが明確になってくるようだ。それほどの苦労がなく原稿はかけそうなのだが、自分の狙い通りの議論の展開になるのかどうか入って見なくては分からないという感じになりそうだ。
こうして毎日のように「徒然」を書いていることは中身の深さはともかく原稿を書くだけにはプラスになるようである。
防衛庁長官がイラクのサマーワに行くということがニュースで流れた。戦争が起きていない安全な場所という前提が崩れていないというのだから、防衛庁長官が行くことがニュースになること事態が本当はおかしい。自衛隊の派遣の延長の議論はともかくとして、イラク人による平和な国家の建設が1日も早くなされることを心から祈りたいと思っている。
自分の国は結局自分たちで作るしかないし、自分たちの手で平和な国を建設していくしかないのである。出来れば世界共通の平和間といったものが1日も早く出来て欲しいと思っている。
自衛隊がおこなうべき人道支援の中でどの程度の達成がされているのかがまるっきり分からないという状況も平和とはかけ離れた状況である。
朝早く、公明党の掲示板が届いた。総支部内支部ごとに届いたものと見えて電話があちこちからかかってきた。ひとつには数が多いということである。私たちの総支部の予算では掲示板に張るものを常に作ることは不可能である。そうなるとついつい何も張っていない状態が常になってしまう。
こうなると国政の選挙のないときには有効活用がされないことになってしまうのである。有効活用しようとするといざというときに予算がなくなってしまうといういたちごっこの繰り返しである。しかし、この掲示板しまっておくにもスペースがなかなか見つからない。横浜とか、川崎はどのように活用するのだろうか?もっとも政令市は私たちにはとても参考にならないぐらい議員の活動の予算があるのだからうらやましい限りである。
こんなことをうだうだやっていながらあちこちに連絡をして細分化して保存することにした。夕方までかかってしまうところがすごいのである。連絡がそれだけ昼間は議員間でも取れないということなのである。
12月にはいると様々なところから忘年会のお誘いがかかってくる。楽しく飲むといってもアルコールは体が十分に受け付けないのでそれほど飲めない私は、楽しい会以外は気が進まないこともある。出来るだけお酒の入るときには普段のことは忘れて楽しいひと時を過ごしたいものだと思います。
なんか今日1日変な感じで過ぎていった。知っている人の変な噂話も入ってきたのだが、なかなか本人にいえないことなので誰にも言わないように決めた。最近このようなことが多いと一人つぶやきながら1日が終わった。
本日から12月、そして本年最後に議会の12月議会が本日から開会である。朝8時前に自宅を出た。質問通告はすでに出来ていたので議員になって始めて一番最初に質問をしてやろうと思って8時30分前には役所についていた。
イマまで約10年間の議会では一番最初に近い順番で質問をしたのが2番目というのがあったのだが、そのときにも質問の順番がくじ引きだというので譲って2番目になったという経緯がある。もともと順番にはあまりこだわりのないほうなのだが、たまには一番最初にやってみるのも面白いと考えて出かけてきたのだがすでに1期の議員が来ていたのには驚いた。
8時30分になると1期の議員が4人と私がいるような感じになった。いつもこの4人は早いのだが、質問者が何人になるのか想定は出来ないのだが、5番目でいいかという感じになって一歩引いて抽選をする有様を見ていた。
10時から本会議がはじまり、11時には提案理由の説明が終わり閉会となった。代表者会がおこなわれているのを横目に、質問の打ち合わせを行ってしまい後は原稿を書くだけである。3月の代表質問に向けてつながる内容の質問がきちんとできればと考えている。
代表者会では公職選挙法に違反する行為である「寄付行為の禁止について」徹底をしていこうという事になったようである。どのようなことでも法律に違反をすることはきちんと禁止行為として市民に徹底することに越したことはないし、今後とも議会としてこの姿勢を貫いて欲しいと考えている。
「あまりおおぴらに表明することをしないのならビラでも配るか」なんて同僚議員と話したりしていた。大切なことは足並みをそろえてきちんとするということだとおもう。
自宅に帰ってあちこちに行っているうちに夕方になった。質問の打ち合わせをした所管から訂正の連絡が入る。基本的な考え方は決まっていても専門的に正しい知識が私のほうにあるとは限らないので所管と質問の打ち合わせを行うということは大切なことである。私としては大きな施策の方向の議論をするための導入部の質問項目はきちんと正確に出来ることが大切なのでこういうのは誠にありがたいことである。
いずれにしても、これから12月で夜が忙しくなるようだが、自分の体長の管理をきちんとしていきたいと思っている。